マチココロ

サッカー観戦と本業のお掃除、新潟のよいところを綴っています。

アルビレックス新潟

縁もゆかりもなかったクラブの応援を続けたら、自分の世界が変わり始めた話 < 第4章 >

なぜ新潟に無縁な私がアルビレックスを応援してきたのかは、1章〜3章に綴っています。
続編の4章を読む前に1章からご覧いただければ嬉しいです。

2017年7月3日。
私は8年間交際していた方と入籍した。
彼との縁はアルビレックスが繋いでくれたものである。
正直、アルビレックスのこと以外振り返らずにここまでの人生を歩んで来てしまったので、結婚するとしたらアルビレックスのサポーターではないかと思っていた。

アルビレックスのサポーター以外の方と結婚していても、私は全国どこでも一人で遠征していたと思うし、遠征した週末は全然家事をやらないだろうし、サッカー観戦費の捻出のために生活費を切り詰めていただろう。
現地に行っていなくても試合の時間はテレビの前から離れなかっただろうし、勝ったら祝勝会だし負けても反省会なので試合の日は夕ご飯を作らなかったと思う。

夫婦どちらかサッカー観戦に興味がなかったり、別のクラブのサポーターだとどうやって家庭内を平和的に営んでいるのだろうか。想像が難しい。
私の場合、夫もアルビレックス新潟サポーターであり同じ熱量で応援しているのでお金の使い方で揉めることは少ない。

入籍をすると本籍地は夫か妻のいずれか、もしくは希望の場所を本籍地として選べる。ビッグスワンの住所を選ぶこともできたが、私の場合は夫の本籍地である新潟県新潟市になった。
免許証のICチップを機械に通さなければ見えないが、新潟に無縁のままアルビレックス応援してきた私は結婚を通して初めて新潟との繋がりができたのである。
新潟に本籍地が移り心境が変わったのかというと、ほとんど変化はなかった。
でも、新潟に行く機会は確実に増えたし、新潟の文化に触れることも増えた。

年末年始の賑わいも、なぜか大晦日に食べるすきやきは美味しかったし、石油ストーブに置いてあるやかんが奏でるふつふつというリズムは心地が良かった。
お盆で出される枝豆の量はすごかったし、お墓参りで灯される赤いロウソクは美しかった。

15年も応援してきたのに私はそういう新潟での日常に触れる機会がなかったのだと気付かされた。
そう思うとビッグスワンも新潟に行くことも私にとっては非日常で、見たい景色・楽しい記憶だけを見ていたように思う。

新潟を故郷に持つ夫のところに嫁いだ訳だが、私はまだまだそういった新潟での日常には全然追いつけていなくて、親戚が集う機会にも上手く立ち回れず毎回落ち込んでいる。
それでも新潟の新たな一面を知れるのは嬉しかったし、自分が嫁いだのが大好きな新潟とご縁があるお家で幸せだと改めて思った。

結婚というライフステージの変化を迎える直前の2017年6月。
私は自分とアルビレックスのこれからの関わり方について考えていた。
周囲の同年代が一歩先に結婚・出産をして子育てに奮闘している姿を目にするようになって、あと何年今のようにサポーター主導のイベントの運営側として動き回ることができるのだろうかと思ったのだ。
今までもぼんやり考えていたが、結婚式もいよいよ迫ったタイミングで急に目の前に現れた感覚だった。

そもそもこうやってサポーターの交流会であるアル関ジャイアント宴会シリーズやバスツアーやスポーツバー観戦会等のイベントに携わるようになったのも、私が4年間独りで応援していたことが大きい。スタジアムの中でも、スタジアムの外でも寂しかった。
スタジアムで応援するのは楽しいし嬉しい、たまに悔しい。しかし私にはその感情を共有できる人がいなかった。

私が今こうして楽しく過ごせているのはアルビレックスに関わるイベントと心優しいサポーターの皆さまのおかげ。
アルビレックスを応援している人たち同士が出会い、繋がりが生まれることで、スタジアムに行くことが一層楽しくなることを知ることができた。
独りだったからこそ、伝えられる想いがある、伸ばされた手に気づけることがある。
先輩たちが繋いできてくれたアルビレックスの愛で溢れる空間をもっと作っていきたい。
私が体験したこのワクワクを一人でも多くの方に知ってほしかった。

一方で私たち夫婦によって先輩たちが築いてくださった繋がりが途絶えてしまうことは避けたかった。
しかし、私たちがこのまま誰かに全てを託すのはあまりにも負担が大きい。
私たちは自分たちのキャパシティと相談しながらチャレンジを繰り返して今の活動量になったが、経験も足りないまま全てをお願いできる人もいない。
どうすれば個に依存せず、イベントを継続しながら新たな企画を実行していけるのか。

その答えがファンコミュニティだった。

2019年1月に私たちは賛同してくれたメンバーと一緒にALB首都圏ラボラトリーをスタートした。ALB首都圏ラボラトリーは今までのイベントを継続しつつ、新しい企画も行っていく。メンバーのやりたいをみんなで形にしていくコミュニティだ。
メンガーがそれぞれ長所を活かしながら、アルビレックスへの情熱を持ってサポーターを繋ぐ活動をしている。
新しい企画は本当にチャレンジであとから湯水のように反省点が溢れ出る。
今までもやってきたことを今まで通りやっていてもいつか企画がそぐわなくなっていく。クラブがアップデートされていくのと同じように、私たちも一緒に成長していきたい。

もし私たちの活動が周囲のサポーターの皆さまのニーズとミスマッチなら月日を重ねていけばいずれ淘汰されていくことだろう。
しかし、アルビレックスというクラブは今までもサポーターが主体となってクラブに関わって共に歩んできた。だからこそサポーターがクラブと手を取り合って盛り上げていくアクションは、これからもずっと残していきたい。
今は後援会とも協力して関東からアルビレックスを盛り上げるのが目下の目標だ。

是永さんが社長に就任されて以来、今までクラブでは実現が難しかったものも形になって来ていると思う。
でも私はアルビレックスはクラブとサポーターがみんなで創っているクラブだと思っている。どちらかが受け身なのではなく、みんなが当事者で主人公だ。
クラブにおんぶにだっこでお願いするのは嫌だ。これからも一緒にアルビレックスの歴史を作っていきたい。

2019年シーズンは予算が5億円縮小となり、選手も関東の試合を中心にバスでの移動を余儀なくされている。クラブが目指す昇格への道の厳しさは昨年嫌というほど味わった。

だけど、私はアルビレックスが新潟の皆さまにとっておらが街のクラブであってほしい。
「俺たちのアルビレックス」だと誇れるクラブであってほしい。

クラブは異なるが大杉漣さんの言葉が今も心に刺さっている。

「J1でもJ3でもカテゴリーの問題では無くて心に届く試合がありますし、それを見たいというところが我々サポーターにはあると思います。技術だけで無くて、試合に対する気持ち、深さ、色んなものが応援席にいて心に届いた時は嬉しいですし、そういうものがサッカーにはあります。」(ヴォルティス日記より引用)

心に響く試合を一緒に作っていきたい。
心苦しいが全ての試合勝つことは難しい以上、せっかく来てくれた試合で酷い試合をしてしまうこともある。
一度試合を見て悲しい思いをした人たちがスタジアムに戻って来るのは簡単なことではないが、私もできることをしたいんだ。

私はアルビレックスが好きだから。新潟の街が好きだから。
左胸の白鳥のエンブレムは、私の誇りだ。

今までもこれからも共に歩んでいこう。




-アルビレックス新潟

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マチ神奈川県川崎市在住、東京都調布市出身。
新潟に無縁だったアルビレックス新潟サポーター16年目、家事代行会社入社8年目。
サッカー観戦、本職のお掃除、サポーターとして経験したこと、新潟のよいところを書いてます。