「私、アルビレックス新潟のサポーターになろうと思う。」
私がアルビレックスを応援すると決意した時、周囲の反応はあまり良いものではなかった。
当時ヴェルディが好きだった両親には「飽き性だから3カ月ももつまい」と言われたし、中学3年生になっても交友関係は順調とは決して言えなったため、同級生にはしばらく隠していた。
結果的には卒業直前にスタジアムで目撃されていたらしく同級生に発覚してしまうのだが、学年に数人ではあったが熱狂的なFC東京サポーターもいたので、変な衝突は避けたかったのである。
当時野球は球団名に地名が入ることが少なく、全国にそれぞれの球団のファンがいたが、サッカーはその時点で当然のことながら地元の地名がチーム名に入り、ホームタウンという名のサポーター争奪戦を繰り広げていた。今よりもサポーター同士で地域に対するナワバリ意識のようなものが強かったように思う。
クラブが地元に根付き、ファンを増やし、活躍することで、地元地域を元気にすることは素晴らしいことだ。
しかしその一方で応援する人まで地元と直接結びついてしまう要因にもなっており、地元のクラブを応援しない人は敵みたいな感覚が出来てしまっているというのが当時の感覚だった。
今はクラブが増えて、SNSが広がり色んな人がいることが認知され、応援するクラブの多様性も昔と違って認められてきたように思う。
しかし、当時は学生という狭い世界にいた私にとって、結果的に地元と両親を裏切るような形になってしまい、後ろめたさはずっと持ち続けることになるのである。
2005年の春から高校に進学したが、毎年関東近郊の数試合しか行くことが出来なかった。部活動もあったし、何よりも突然1人でスタジアムに出向くようになってしまった娘に対する両親の心配が大きかったのだ。
アルビレックスは家族単位で応援する方がとても多い。
招待券が大きな影響を及ぼしていたのだろう。
私はアウェーでの応援のみだったから、同年代をスタジアムで見かけることはほとんどない。部活動があればなかなかアウェーのスタジアムまでは来れないだろう。スタジアムに女子高生が1人で行ってしまうことに両親が不安になるのも無理はなかった。
1人でスタジアムに向かうたびに新潟の出身ではない私が皆さんに紛れてアルビレックス新潟を応援して良いのかと言う疑念がずっと心の中にあった。
Jリーグは100年構想という名の地域密着型を掲げており、当然のことながら応援されている方の大半は新潟にゆかりがある方だったと思う。
これは地元チームを応援している方に分からない感覚かもしれないが、人のお宅に勝手に上がり込んでいる感覚ともいうのだろうか。
試合が始まってしまえば楽しい。
しかし自宅からスタジアムに向かうまでの時間、開場までの待機時間、キックオフまでの時間は一人だとつぶしきれないくらい長くて、自分では答えが見つからない疑問が堂々巡りをしていた。
転機になったのは2007年5月3日の柏の葉球技場での柏戦。
0-6でビッグスワンで横浜Fマリノスに大敗した直後の試合でアウェーゴール裏は超満員になった。
そこでたまたま隣になったご夫婦に話しかけられた。高校生が一人で来ていたのが気になったのだろう。
最初はチームの話をしていたが、どこの出身なのかという話になり、正直に自分のことを話してみることにした。
新潟には出自が全く関係ないこと、アルビが好きになったこと、自分がこのクラブを応援して良いのか悩んでいること。
この時、ご夫婦がかけてくださった言葉は今でも忘れていない。
『確かにJリーグは地域密着型だけど、全員が生まれた場所のチームを応援している訳ではないよ。それに海外サッカーが好きな人は皆自分が応援したいチームを見つけて応援しているのだから。』
地元にあるクラブは応援を始めるきっかけがたくさんあるだけで、それに必ずしも縛られている訳ではない。
Jリーグクラブだろうと海外クラブだろうと関係なく自分の応援したいチームを応援したら良い。
ご夫婦の言葉は頭では分かっていたはずだが悩みすぎて端っこに追いやられてしまっていた原点を思い出させてくださったようだった。
その試合は引き分けで終わってしまったが、帰り際に、
『あなたのようなサポーターがいてくれて、本当に嬉しい。』と言ってくださった。
お世辞だったかも知れない。
それでも当時の私には十分だった。
こんな私でもオレンジのユニフォームを着て『ここ』に居ても良いんだよと言って頂いたような気がした。
2008年までの4年間1人でスタジアムに通っていたがこの言葉のおかげで孤独に耐えられたと言っても過言ではない。
2008年の春、大学に行けば出会いがあるかも知れないという期待を膨らませて、大学生活をスタートさせた。
しかし思わぬ形で世界が広がり始めていく。