マチココロ

趣味のサッカー観戦と本業のお掃除、新潟のよいところを綴っています。

アルビレックス新潟

縁もゆかりもなかったクラブの応援を続けたら、自分の世界が変わり始めた話 < 第1章 >

2016年7月30日。
私は両親とともに新潟へ向かった。

いつもと変わらない東京駅の混雑。
いつもと変わらない新潟駅のホーム。

傍から見たら親子3人で新幹線の3列シートに座っている光景は普通の家族旅行だ。
私たちは一緒に東北電力ビッグスワンスタジアムへ向かい、試合を観戦した。そして新潟駅周辺の観光地を回って帰路についた。

「新潟の人は出会う人みんなすごく良い人で、食べたごはんも行ったところもみんな良かった。」
それが母の感想であった。

しかし、この日。
新潟に無縁なアルビレックス新潟サポーターの私が、FC東京ファンの両親とともに新潟へ行くということが、どれほど特別なことであったのか。

両親はいまだに私が何故アルビレックス新潟の応援を始めたのか、そして応援し続けているのか、きっと知らないと思う。
私も分かってほしいと思って全てを打ち明けたこともない。

これから東京都調布市出身の私がなぜ、アルビレックス新潟のサポーターになったのか。
私とアルビレックスとの14年を綴っていこうと思う。

* * *

2001年小学校4年生だった私はサッカー観戦と出会った。自分の住んでいる街にスタジアムが完成したことがきっかけだった。こけら落としの試合で市内の小学校に招待券が配られ、そのうちの1枚が私の手元にやってきたのである。
サッカーに出会ってからというものサッカー観戦が私の心を離さなかったのには大きな理由が二つある。
一つは父が単身赴任をしていたことだ。

父は私が小学1年生~中学1年生まで北海道に単身赴任をしていた。
子どもたちの学校のイベントに合わせて帰ってきていたが、数か月に1度しか会えないこともあった。今のようにLINEですぐに連絡が取れるわけでもない。
小学生だった私は、日ごろ会えないのがさみしくてたまらなかった。寂しさを埋めるようにサッカー観戦にのめり込んだ。
父が帰って来ると、サッカーの話をするのが嬉しかった。
つまり父との共通の会話がサッカーであり、ヴェルディだったのである。

自分の住んでいる街にスタジアムが完成してからというもの、私の日常の中にサッカー観戦がどんどん入り込んでいった。
父がいない時は母が試合に連れて行ってくれたが、市内にある東京スタジアムのみの観戦だったので行けても月に1~2回だった。
当時の私はスタジアムに行けなくても、テレビ中継があれば13:00開始の試合から、19:00開始の試合まで見れるものはすべてテレビ観戦していた。

この頃応援していたのがヴェルディだったのは、FC東京のサポーターがトラウマになっていたのが大きい。
東京スタジアムのこけら落としの試合(サッカー初観戦)で、FC東京サポーターの怒号や罵声、爆竹などを見聞きして以来、苦手意識を持っていた。小学生の私には少々刺激が強かったのである。
さらに大きかったのは新聞社から祖母が招待券をよく貰っていたことだと思う。
FC東京は配るところがかなり限られていたため、調布市民でも無料のチケットが回ってくることはほとんどなかった。

そして、サッカー観戦が私の心を離さなかったもう一つの大きな理由は中学1年生の時の大きな怪我があった。

中学校に上がる直前の春休み、入学式を一週間後に控えたタイミングで、私は左足首を骨折した。
いとこを抱っこしていた際に、雨でぬれた地面に足を取られ転倒してしまったのである。

折った場所が悪く、息つく間もなくすぐに手術を受けることになった。
入学式も外出扱いで何とか出席、2か月は固定のために差し込んだボルトの消毒で週3回、病院通院後に登校していた。

私が入学した中学校は大半が中学校から道路を挟んで目の前にある小学校から来ており、私の小学校からの入学は学年で数人だった。
クラスでわずかに一緒になった同じ小学校出身の子たちに手伝ってもらわないと一人では教室移動もままならない。
人の手を借りなければ学校生活を送ることが出来ず、心が苦しかった。
何とか元の生活が送れるようになった時には、運動会も見学で終わり、部活に入るタイミングも、新しい人間関係を構築するタイミングも逃してしまっていた。
中学生という難しい時期に悪い意味で目立ってしまったのである。

私は母に3カ月間大きな負担をかけながら通学をさせて貰っていたから、交友関係について悩んでいると打ち明けることは到底できなかった。
足を折っていて自由に動けない。
中学校生活から逃げ出したいと何度も思った。でも中学校に通わずして生きていく方法を思いつくこともできず、通う以外の選択肢を見出すことができなかった。

そういった現実もサッカーを見ている90分間は忘れさせてくれた。
この時期に開催された日韓ワールドカップには心を救われたのである。

この時期に少しずつ私の心の中にサッカー観戦という軸が形成されていった。日常で苦しいことがあってもサッカー観戦が私を支えてくれたのである。

ただヴェルディに対する感情はどうだったのかと言われると難しいところがあった。
2001年からヴェルディを応援していたものの、地元でもなかったし、自分の意志という感覚ではなかったから、ヴェルディに対する想いや結びつきが強くはなかった。

これはアルビレックスのホームゲームの招待券にも通じるところがあると思っていて、お会いしたアルビレックスのサポーターの皆さまに、実際初めて観戦したきっかけを聞くと、やはり招待券を貰ったので見に行ったという方が圧倒的に多い。
その中で招待券を通じてスタジアムに通っていた人の愛着や親密性を生み出し、どうやって根付かせるのか、それが当時のヴェルディも課題だったのはないだろうか。

今思えば、ヴェルディはクラブ・選手・サポーターの進みたい道が見えず、それぞれの想いをどこに向かわせれば良いのか分からなかったのだと思う。

私もまだ中学生だったし、ヴェルディを支えたいという所までは気持ちが届かなかった。ゴール裏の端っこで観ているところから、2つあった応援のグループのどちらかに飛び込んでみたいという思いは生まれなかった。
純粋に自分が見たい、応援したいと思えるクラブを見つけたいという気持ちが徐々に強くなっていった。

じゃあ自分が応援したいクラブを探してみれば良い。
2003年は今までと異なる気持ちでシーズンを迎えていた。
ヴェルディから離れても応援したいと思えるチームに出会えなければ、このままヴェルディを応援すれば良いのだ。
そう思った私は心から応援したいと思ったクラブを探し始めた。

実際にほかのクラブを知るために東京スタジアムでの対戦前には事前情報を調べたり、サポーターを知るために前半はヴェルディ側、後半はアウェー側のゴール裏で観戦をしたりした。
私の家族は静かに見守る観戦スタイルだったがピンチやチャンスで私がキャーキャーうるさく、
落ち着いて観戦したい家族に怒られてしまうこともあったので、あまり止められることもなかった。
しかし2003年は残念ながら応援したいと思えるクラブに出会うことはなかった。

28歳の私から見て、14歳の私がどうしてアルビレックス新潟を選び取ったのか。
改めて考えてみると、一体感・家族のような温かさ、サポーターの行動力、そして何よりもスタジアムに集まる誰もが輝いていたのが大きかったかも知れない。

2003年11月23日の最終戦。私はテレビでアルビレックスの試合をたまたま観ていた。
通路が見えないくらいオレンジに染まったスタジアム。
ビリビリと伝わる応援はテレビを通していても感じ取ることができた。
選手のプレーには迫りくる気迫を感じ取った。

プレーがうねりを生み、応援が呼応してスタジアム全体に大きな渦を作り出していく。
実力だけでは語れない力が引き出される。
アルビレックスというクラブが体現しているようだった。
このクラブがどんなチームなのか、私は知りたいと思った。

2004年3月13日。
アルビレックスにとってはJ1初戦。相手はFC東京で東京スタジアムで開催された。
オレンジのユニフォームを身にまとって、カバンにグッズと想いを詰め込んで、初めてのJ1の開幕戦に居ても立っても居られずに東京まで駆け付けていたサポーターがスタジアムの半分をオレンジに染めた。
延々と並ぶ応援のバスは壮観だった。

アルビレックスを応援しているサポーターは、お子さんもお父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、お兄さんもお姉さんも、あらゆる年代の誰もが目を輝かせていた。
試合が始まるとゴール裏では誰もが選手を鼓舞し続けていた。
その想いに選手も応えようとしていた。
どんなに苦しい展開でも最後まで一緒に闘い抜いていた。

そのプレーに応援に鳥肌が立ち、選手とサポーターの姿勢に感動した。
この風景が私の心を動かすことになったのである。

新潟には行ったこともなかった。友人がいた訳でもない。
私はこのクラブについても、新潟の街についても何も知らない。

未知の世界に飛び込むという意味では14歳の私にとっては、自分の進学先を決めるよりも不安は大きかった。

それでも、私はこのクラブを応援したい。

初めてアルビレックスの試合を観戦してから1か月ほど経った頃、私は両親に伝えた。

「私、アルビレックス新潟のサポーターになろうと思う。」




-アルビレックス新潟

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マチ神奈川県川崎市在住、東京都調布市出身。
新潟に無縁だったアルビレックス新潟サポーター15年目、家事代行会社入社7年目。
趣味のサッカー観戦、本職のお掃除、サポーターとして経験したこと、新潟のよいところを書いてます。