昨年、ゴール裏でこんな言葉を耳にした。
「私が来るから負けたのかなぁ。」
「今日◎◎して来なかったから負けちゃったんだ。」
「欠かさず●●して来たのに何で勝てないんだろう。」
目の前で展開される残酷な結果を無意識に自分と結びつけようとしてしまう方が多くいた。
それだけ勝てていなかったのだから無理はない。しかし、どんなに験を担いでも、物柱だと思っても、結果はついて来なかった。それは本来当たり前なのだ。
試合の結果は選手・監督の練習を含めた準備、当日のコンディションやスタジアムなどの条件、そしてわずかな運で決まる。
私たちサポーターが努力をしてどんなに素晴らしい雰囲気をつくったとしても、負けてしまうこともある。私たちサポーターは選手のように直接動く訳でもないから、勝敗を起因させるとは考えにくい。
では私たちは何故スタジアムに足を運ぶのだろう。
私自身のことで言えば、勝利の喜びを分かち合いたいから。
私が応援を始めた2004年-2006年頃はアルビレックスはアウェーでほとんど勝つことが出来ない内弁慶だった。まだ中学~高校生だった私は勝ち試合をほとんど見ることが出来なかった。
あまりにも勝てない時期が続いたり、酷い試合を目にしてしまうと腑に落ちる理由を探したくなるもので自分の粗探しをよくした。
2006年の開幕戦、定期試験前日の日曜日に等々力へ川崎戦を見に行って0-6で負けた時には完全にテスト勉強をエスケープしたからだと思った。
しかし私が試合に行かず真面目に1日テスト勉強をしてもテスト結果はともかく、試合結果は変わらなかっただろう。自分のせいにしたところでどうすることも出来ないのだ。
もちろん事前の練習の積み重ねなどの要素は転がっているだろう。しかし勝つことが出来ない答えはスタジアムの中にしかない。
クラブ・選手、サポーターが目の前の試合の90分をどのように向き合うのか。
それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
自分が行こうが行くまいが勝つときは勝つし、負ける時は負ける。
それでも私はスタジアムに向かいたいのだ。
私自身、夏場の試合の時に、メインスタンドとバッグスタンドから降り注ぐ拍手に勇気づけられた事がある。
その拍手に声に、奮い立たせられる。
サポーターでもそういう体験をした事があるのだから、選手は何度も経験しているだろう。
私たちが全力で応援をしても山は動かない。でも私たちの後押しで選手の体を1cm前へ動かすことは出来るかも知れないから。
明日はあなたの想いを声で拍手で選手に届けましょう。
勝利の喜びを分かち合うために。