野澤選手のプレーを初めて目にした時、私はまだ中学生でした。
コールに乗せてゴールにぶら下がるパフォーマンス。
試合になればアルビレックスのピンチを救ってくれる救世主。
そして、ピッチの外ではいつもお茶目でたくさんの笑顔を私たちにくれる野澤選手に、アルビレックスのサポーターは誰もが夢中になったことでしょう。
私もそんなサポーターの1人でした。
私が応援を始めた2004年は新潟にとって多くの災害に見舞われた年でした。夏には豪雨があったし、秋には中越地震も起きました。
あれほど強かったホームで9月23日まで勝てなかったのも様々な重圧があったのだろうと察します。
それでも、アルビレックスが人々にたくさんの笑顔を届けてくれました。
いつもその中心に野澤選手がいました。
暗いニュースが影を落とす中で、アルビレックスが新潟の希望だったのです。
野澤選手が移籍する時、きっと強い決意があったのだろうと思いました。
私たちは野澤選手がサッカーに対してとても真摯に向き合っていたことを知っていたからです。
だからこそ、最初の別れは辛かったけど、野澤選手とは離れていても想いは繋がっている。
だから新天地で頑張ってほしい、そう思うことが出来たのだと思います。
野澤選手は他のチームを経て、シンガポールで再びアルビレックスのエンブレムを纏ってくれましたね。
離れた場所でも同じ白鳥のエンブレムを纏ってくれた時は嬉しかったです。
アルビレックス新潟シンガポールに所属してからもTwitterから野澤選手の想いを伺い知ることは出来ました。
ゴール裏まで来て私たちを鼓舞してくれたこともありましたね。
出会いと別れが頻繁に訪れるアルビレックスの中で、野澤選手の存在は私たちサポーターの心の支えでした。
新潟を離れていても想ってくれていることが嬉しくてたまらなかったのです。
久しぶりに目にした野澤選手は本間選手の引退試合でした。
野澤選手が円陣で1人だけ足を高く上げる姿はとても懐かしかったし、ボールパーソンの男の子と話をする様子や、本間選手とじゃれ合っている姿は微笑ましくて、みんな笑顔が溢れていました。
そんな光景が昇格が見えなくて、もがき苦しむ私たちサポーターの心を温かくしてくれました。
そんな野澤選手がもう一度アルビレックスに戻って来てくれた時、本当に嬉しかったです。
当時を知る人たちはきっと目を輝かせたことでしょう。
スタジアムで21のゴールキーパーユニフォームを見かける機会も多かったです。
最終戦を残すものの、残念ながら公式戦で野澤選手の勇姿を見ることはまだ出来ていません。
でも、もう一度、一緒にシーズンを闘い抜いてくれたこと本当に感謝しています。
野澤選手は2003年のアルビレックスの昇格を知り、数々の災害に見舞われた2004年の新潟を知る、数少ない選手です。
苦しい時も嬉しい時も、ずっと私たちに寄り添っていてくれてありがとう。
私たちはずっと野澤選手の熱い想いとその笑顔に救われていました。
10年前に一度新潟を離れる時に
お別れを言えずに去ってしまったのがずっと心残りでした。今回は言える😊
『ありがとう』と。 https://t.co/RlRrKH824r— 野澤洋輔 Yosuke Nozawa (@013021) November 19, 2019
野澤選手は公式コメントで『こんな僕をヒーローと言ってくれてありがとうございました。』と言ってくれたけど、これだけは伝えたいです。
ノザ、もう一度、私たちにヒーローと呼ばせてくれてありがとう。
「オレ 野澤洋輔 ゴール守る 俺たちのヒーロー」
中学生だった私にとっても、大人になった私にとっても、そしてこれからも。
ノザはずっと私のヒーローです。
新潟を離れていても想いが繋がっていればきっとまた再会できるはず。
だから、さよならは言いません。
ノザのサッカー人生に幸多からんことを。
Special Thanks:写真をご提供くださった皆さま