マチココロ

サッカー観戦と本業のお掃除、新潟のよいところを綴っています。

アルビレックス新潟

そして歩き出す サポーターと早川史哉の1287日

2019年10月5日。
J2リーグ第35節 鹿児島ユナイテッドFC戦。
1287日振りに早川史哉がピッチに戻ってきた。

試合終了後、たくさんの報道陣に囲まれていたのは、「ヒーロー」でもなく、「白血病から復活した人」でもない。
”早川史哉”という1人のサッカー選手であり、1人の人間だった。

2019年10日26日。
史哉が白血病発覚からの3年3ヶ月を振り返る書籍「そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常」を出版した。

そこに書かれていたのは、私たちが知らなかった史哉の3年半だった。
彼が強い想いで振り返った3年半を過去のものにしないよう、私も当時の想いをここに残したいと思う。

白血病だと分かった時

全身の力が抜けて行くのがわかった。
それは、決して絶望や計り知れないショックによるものではなく、安堵からくるものだった。
「そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常」より引用

本の中では白血病と判明するまでの史哉の心境が刻々と記されている。

史哉がスタメンと知り、喜んだ2016年の開幕戦 湘南ベルマーレ戦。
史哉がベンチ外となり、首を傾げていた第9節の甲府戦。

私たちが知らないところで、史哉はずっと恐怖の中にいた。
そして彼は不調の原因となる病名が分かり、安堵したのである。

もちろん、自分の体に異変が生じていながら原因が分からない時は怖かっただろう。
他の人であれば原因が分かったからといって、ここまで落ち着いて受け入れることができるのだろうか。
少なくとも私だったら受け入れるまでにもっと時間を要しただろう。史哉には認めたくない弱さより、受け入れる強さがあったのだと思う。

冷静に受け止めている史哉と比べると、サポーターの方が動揺が大きかったかも知れない。
サポーターにとって選手はかけがえのない同志であり、ある人にとっては友人のような、またある人にとっては息子のような存在である。

その選手が突然白血病にかかっていると知ったら、何と言葉にしたら良いか分からなくなるのも無理はなかった。

史哉の病名がリリースされた2016年6月13日。直前にあった第15節の大宮戦のゴール後の選手たちの涙を思い出して、私は胸が締め付けられた。

私たちがいくら案じても史哉の様子を伺い知ることは難しく、クラブや史哉自身からの発信を待つしかない。

私たちは見守ることしかできなかった。
私たちは叫び続けることしかできなかった。
試合前のピッチに向かって史哉の名前をコールすることしか。
私たちは待ち続けるしかなかった。

本の中では史哉の生い立ちから当時の史哉の状況が刻々と記されているので、ぜひご自身の目でご覧頂きたい。

現実と対峙した引退試合

私たちが史哉を姿を再び見ることが出来たのは2018年7月1日の本間勲選手の引退試合だった。
懐かしい顔が揃った引退試合。

私はビッスワンで再び史哉が元気に走る姿を見て、心が踊った。
史哉の勝利に向かって少しずつ前進していると、嬉しかった。

しかし、史哉の想いは私とは大きく異なるものだった。

 体が思うように動かない。パスを貰いに動いても、体がついて来ない。
  ピッチ上の雰囲気は引退試合とあって和やかムードで、公式戦のような張り詰めた緊張感はない。周りの選手たちも笑みをこぼしながらプレーをしている。
 でも、僕のテンションはどんどん下がっていった。いや、もう公式戦に挑んでいるように必死にやらないとついていけない。どんどん僕の中で余裕がなくなっていくのがわかった。
「そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常」より引用

7月25日に掲載された安藤さんの記事で史哉が本来のプレーが出来ず、苦しんでいることを知っていた。

あの引退試合は終始和やかで、アルビレックスのレジェンドの姿も多く、決して運動量が多いとは言い難かった。
にも関わらず、史哉はそのプレーについていくのがやっとだったのだ。
2019年12月12日に行われたライターの安藤隆人さんとのトークショーの中でもこの引退試合のエピソードについては触れられた。
本の中ではこの一節を読んでいたものの、いざトークショーの中で史哉自身が言葉を選びながら苦しかった胸の内を話してくれた時は、改めて胸がチクリとした。
あの場にいて、私はその心境に全く気づかなかった。

史哉の目標が公式戦に出場することであったからこその、歯がゆさだったと思う。
心に葛藤がある中、笑顔で他の選手と周回していた史哉の強さを改めて感じた。

ピッチに靄がかかっていた

2018年11月12日に史哉の契約凍結が解除され、2019年シーズンからは再びトップチームの一員になった。
2019年8月18日の岡山戦で史哉は初めてベンチ入りを果たす。

こみ上げる感情があったのは私だけではない。
ビッグスワンでの後援会イベントで登壇した是永社長は史哉のベンチ入りに触れ、声を詰まらせ涙を隠しきれなかった。
サポーターの中には史哉のベンチ入りの一報を聞いて、ビッグスワンへ駆けつけた方もいた。

ついに公式戦のピッチまで手が届くところまで来た。
あと少し、あと少しで史哉が公式戦のピッチに戻ってくる。
きっとサポーターの誰もが希望に胸を膨らませていた。

しかし、試合中私と同じ位置からピッチを見つめていた史哉はその景色をこう表現している。

 ベンチの目の前にはタッチラインがある。そのタッチラインとの距離はわずか数メートル。少し前に出て歩けば、簡単にまたぐことができる。
 しかし、試合が始まってしまえば、当然ベンチメンバーの僕は勝手にまたぐことは許されない。すぐ近くにあるただの白線にもかかわらず、そのさきへの距離は遥か遠く感じた。まるでベンチに座る僕とタッチラインとの間に大きな溝があるように感じられた。
 目の前に溝があって、さらにタッチラインの向こうにモヤがかかっているというか、はっきりと見えない世界だった。
「そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常」より引用

 

トークショーで当時のことを史哉はこんな風に語っていた。

「鮮明にイメージ出来なかった。プレーを想像するイメージが持てなかった。
どんな景色なんだろうと怖かった。

見えなんだけどすごく熱がこもってる。どんな景色なんだろうと怖かった。
しかしベンチから試合を見ることで自分自身のポジションを確認していくことで次第に靄が晴れていった。
こういうプレーが出来ると少しずつ考えられるようになっていった。」

私は後援会のイベントで史哉が練習のためにピッチへ駆け出す瞬間をピッチ横から見届けていた。
その日はとても天気が良くて、徐々にオレンジになる空が美しかった。
タッチラインのすぐそばから見えるピッチはスタンドから見るときよりも芝生や青々としていて、ライトの光が眩しいくらいに降り注いでいた。
私は希望に溢れた空間にしか見えなかった。

しかし、史哉は同じ位置から見て”ピッチに靄がかかっていた”と表現したのだ。
一度離れた場所に再び戻るのは肉体的にも精神的にも簡単なことではない。
彼の困惑がとても現れていた。

それでも史哉は自分の中でしっかりと整理して徐々に靄が晴れていったのだった。
みんなの期待と本人の不安の中で史哉が公式戦のピッチに戻ってくる日が少しずつ近づいていた。

そしてピッチへ

2019年10月5日。
J2リーグ第35節 鹿児島ユナイテッドFC戦。
1287日振りに史哉がピッチに戻ってきた。

どうしても試合に行けなかった私は、都内のスポーツバーで試合を見つめていた私は史哉の姿を見ていて視界が涙で霞み、思わず言葉がこぼれた。

「史哉すごく笑ってる・・。帰って来たんだなぁ。」

私たちは史哉を忘れたことはない。
毎試合、史哉の名前をキックオフ直前にコールし続けた。
とは言え、本当の意味で史哉に寄り添えていたのだろうか。

ずっと引っかかっていた。

しかし、笑顔でプレーをする史哉の姿を見て心が救われたような気がした。
もう一度ここから、早川史哉のサッカー人生は始まるのだ。

ここからもう一度、一緒に歩き出せばいい。
そう思うことができた。

トークショーの中で史哉と安藤さんはこのように語っていた。
史哉:「想像していた以上の景色が待っていた。
3年半ぶりのピッチでしたし、あの時イメージしていたものよりもっともっと凄まじい景色が待っていて、最初は緊張してしまってボールを蹴るのすら難しかった。」

安藤さん:「ナンバーでコラムを書かせてもらっているんですけど、Numberの写真を見てほしいんですけど、(史哉)めっちゃ笑顔だったんですよね。」

安藤さん:「でもそれって彼がものすごくわらうときってす実はめちゃくちゃ緊張していたり裏で違う感情を持っている時なんですよね。」

史哉:「本当に自分自身緊張だったり不安っていうのを隠す意味でも笑顔でしたし、もちろん楽しいとかワクワクするいっていうのもありましたし、その両方の感情を笑顔に乗せて笑顔にしながらプレーをしました。」

鹿児島戦の選手紹介で歌われたチャントは少しだけ歌詞が変更になっていた。

「オー史哉勝利のために 俺らと共に闘おう」

このチャントは史哉が白血病だと発覚した直後の2016年6月18日のFC東京戦で披露された。
この日までずっと”俺らも”という歌詞だった。
病気と闘っている史哉と一緒に、私たちサポーターも闘おう。
それがこの日、初めて勝利の意味が本当の意味でサポーターと重なったのである。

この試合に勝つために、一緒に闘おう。
この瞬間を一緒に迎えるまで、いや、ベンチにかけられ続けていた28番のユニフォームが公式戦に帰ってくるまでに、3年半という月日が過ぎていた。

トークショーで一番印象的だった話がある。

「この本を勝者の物語にしたくはなかった。
亡くなった方は敗者ではなく、早川史哉ははっきり言って運が良かっただけ。
その中で悲しい運命を辿った人もいる中で書かせてもらっている。」

これは安藤さんの言葉だ。

本の最後にも再発の恐怖に関する思いについてのエピソードが触れられている。
この先もきっと史哉は白血病という言葉から逃げられない。

早川史哉という名前とともに白血病という病気が常に語られてしまうかも知れない。
でも、私たちサポーターはフィルターをかけずに”早川史哉”というアルビレックス新潟の1人の選手としてリスペクトの気持ちを持って応援し続けたい。

私たちは知っている。彼は人間性はもちろんだが、ピッチで躍動する姿が一番輝いているのだ。
本人は自らのプレーはまだ70%と言っているが、その危機察知能力の高さとタイミングの良いサイドの駆け上がりは私たちをわくわくさせてくれる。
今シーズンは他のポジションでも起用があるかも知れない。今から楽しみだ。

この本は史哉の心そのものだと思う。
だからこそ、彼の想いがたくさんの人に届きますように。
そして多くの人が彼のプレーを見にスタジアムへ足を運んでくれますように。




-アルビレックス新潟

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マチ神奈川県川崎市在住、東京都調布市出身。
新潟に無縁だったアルビレックス新潟サポーター16年目、家事代行会社入社8年目。
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