6月13日。
大宮戦の勝利の余韻に浸っていた月曜日。
アルビレックス新潟及びJリーグを愛する人々にとって、衝撃的なニュースが流れました。
【早川史哉選手 急性白血病】
私はクラブから届いた突然のメールを開いて固まりました。
言葉を失うとはこのことなのだと思いました。
早川選手は新潟県の出身で筑波大学を経て今年加入した22歳のルーキーで、開幕戦からスタメンを勝ち取り、
アルビレックス新潟にとっても、
そして日本のサッカー会からも将来を嘱望されていました。
彼の夢であったビッグスワンでの公式戦出場を果たし、
これから・・・本当にこれからと言う時期でした。
キャプテンの裕紀や豪くん、
翔さんが大宮戦で流した涙の意味にはっと気が付き、
胸が締めつけられました。
そんな中で公式サイトにて発表された
早川選手のコメントは彼の人柄と決意が滲み出た、
彼らしい言葉でした。
『厳しい闘病生活になると思いますが、病気と闘う姿勢や復帰を目指す歩み方を通じて、同じ病気や様々な病気と闘っている人、多くの人に勇気や希望を与えることができればと感じています。
華やかじゃないけど自分らしく地道にコツコツと。
もう一度大好きなクラブ、アルビレックス新潟に戻ってこられるように頑張ります!』(公式サイトより引用)
早川選手のために。
クラブが、サポーターが、早川選手に何が出来るのか探して奔走した6日間だったと思います。
今回の様々な活動に関しまして、
FC東京の関係者及びサポーターの皆様には厚く御礼申し上げます。
早川選手への募金のためのブースを設置頂いただけではなく、
選手の皆様が先頭に立って呼びかけて下さったり、
早川選手への横断幕を出してくださったり、
コレオグラフィ掲出の際にご配慮を頂いたりと、
クラブ及びサポーターの皆様からたくさんのエールを頂きました。
FC東京サポーターの母が私たちが掲出したコレオグラフィをバックスタンドから見ていたらしく、
『あの28番のやつすごかったね!』と言いました。
『キレイだったじゃなくて?』と私が聞くと、
『そう!キレイだったじゃなくてすごかったよ!』と言うのです。
そして母と一緒に見ていた父が写真を送ってくれました。
今回のコレオグラフィは2ブロックで掲出していました。
応援する席もアウェーゴール裏の3分の1ほどだったので、
正直、ビッグスワンで掲出するようなスケール感はなかったと思います。
それでも、両親たちの目にそう映ったのは、
私たちの想いがコレオグラフィに乗り移ったのかも知れません。
試合は序盤に舞行龍選手が負傷退場してから劣勢を強いられる苦しい展開でした。
肝を冷やしたシュートは数知れず。
しかし、誰もが勝利を諦めていませんでした。
最後のアルビレックスコールとアイシテルニイガタには、
『勝ちたい』
『早川選手に勝利を届けたい』
と言うたくさんの人の気持ちが詰まっていたと思うのです。
残念ながら勝利に繋げることは出来ませんでしたが、
私たちはアルビレックス新潟のユニフォームを身に纏った彼がピッチに戻って来るまで、
共に闘い続けます。
鳥栖戦も苦しい闘いになると思いますが、
今度こそ早川選手に勝利を届けましょう。